ただそれだけなんです。

晴れた。文化の日。これを機に京都に家族旅行しちゃおうという計画を遂行するべく、朝イチの新幹線で家族がやってきた。宿からいちばん近い観光スポットは京都御所。空気が澄んでいてどこを撮っても、ぱきぱきの写真になる。砂利をざくざく歩き、芝生をふかふか歩き、御所を抜ける。道すがら見つけた、妙音辧財天にお参り。朝の掃除を終えたばかりで、水が打ってあり、そこらじゅうキラキラ光って、隅々まできれいにしつらえてある。なんだか静かにもてなされているような、心地よさがあった。さらに歩いて「出町ふたば」で、まめ餅を買い、鴨川のせせらぎの側に座って食べた。次はどこへ行こうか。ここから近いということで、河合神社、下鴨神社へ。結婚式や七五三の子どもたちで、華やかに賑わっていた。流れに映る空や、木漏れ日、さらさらと音を立てる風、ひらひら落ちる葉っぱ、清々しい空気を堪能してお参り。神様にごあいさつもしたことだし、そろそろ時間ということで、ギャラリーへ。先週まで家にあった作品を、ズラッと並べた展示の様子を見てもらい、家族は引きつづき観光へ。この日は休日だったためにギャラリーには観光客らしき人が、流れるように入ってくる。カップルや外人さんが多かった。美術関係らしき若者3人に、アートについてどう思いますか?と聞かれ、あー、その話なら、と言いかけたところで、もううんざりですか?というので、はいそうですと答えた。自分のやっていることはアートだとは思っていない。それについての議論も見聞きはするし、学ぶべきところは学びたい。だけどそれは、自分の乗るべき船ではないと思っている。だいいち乗れない。悩んだ時期もあった。でも今は、何かそういうものから抜け出したような気がして、こんなの出ました的に描いている。気分みたいなものを、誰かと共有できるならば、もうそれだけでいいんです。なんのコンセプトも無い単純なものです。子どものように、自由に描くのが、今は自分の理想かもしれないんです。だいたい、そんな大層なこと言える人間じゃないし。若者たちの眼差しが真剣だったので、正直に言うしかない。なるほどぉ、そうなのかぁと、ぐるっと作品を見た赤シャツ君が、僕はコレが好きです、と指差したのは、わたしの銅版画の第一作目だった。それは、いちばん最初に、わくわくしながら描いたやつです。そうかぁ、なんか伝わってきましたよ。そうですか!それならいいんです、わたしはもう、それでいいんです。妙に納得されてしまい、帰る頃には最初とずいぶん様子が違っていた。若者のトゲ抜いちゃったかな?でも、しょうがないんだ。こうなんだもの。その後はヒマになるとストンと居眠りを3分くらいしつつ、やがて終わりの7時を過ぎて、 みんなと合流。ギャラリーからほど近い先斗町の「上燗や」さんの本店へ。お店には、伴清一郎さんの作品が2点飾られていた。ひとつはツイッターのアイコンで見たことのあるお顔。雄叫びが聞こえてきそうな迫力がありつつ、もう1点もすべらかな絵肌。日本橋で拝見した作品もそんな穏やかな迫力があった。やはり作品にしかお目にかかったことはないけども、ちょっとお人柄を想像してみたりして。お客さんも美術関係の人が多いみたい。手伝われていた素敵な女性も、絵描きさんだった。止まらない味のしょうゆ豆、揚げたてのさつま揚げ、ポテトサラダ、ごま豆腐、おぼろ豆腐、美味しすぎて写真を撮り損ねたおすすめの生麩揚げ、などなど。熱燗と、上品なお味の美味しいお料理で、お腹もココロもいっぱいになり、酔いざましに、高瀬川沿いを散歩してから宿へ。
ぽわぽわぽわ。
あれ?わたしは何しに来たんだっけな?そうだ、個展をしに来たんだよ。
2日目の終わり。

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