個展「うたかたの庭」を終えて

「うたかたの庭」それは 一週間で消えてなくなる庭のことでした。
世界はこんなにも儚いものだと実感した1年。震災後、何も描けなくなった日々があって、こんなことしてていいのだろうかと思い悩む日々があって、これしかできないじゃないかと思い至る日々があった。 悲しみや怒りや恐怖や、いろんなことがありすぎて、力の抜けることが少なくなったこのごろ、少しの間、そういうことも忘れさせてくれる何かが欲しいと思っていたのかもしれない。そんなことを説明したわけではないのに、DMの版画「鳥のうた」を見たIさんが感想をつづってくれました。「カゴのなかの小鳥と女の子の顔に喪失感を感じる。 小鳥は引きこもりなって、 歌うことも忘れ、 翼をぎゅっとちぢこませて飛ぶこともしない 。ここが安全だと信じてる 。そこに一羽の仲間が呼びにきて、外は怖くないよ、花が咲いてるよ、みんなあなたを待ってるよって。きっとそのうちに、空高く飛び立つだろうなっていう、希望も感じる。女の子も春の暖かさや庭の花々の香りで、悲しみが癒され解放されていくだろう」と。こんなふうに絵から、物語を読んでくれてたなんてびっくり!メールをみて、あぁ、なるほどそうかもしれないと、絵を描いた本人は、あとから気付くことばかり。最近になって、不思議と続く再会と出会い。先輩方ともいろいろお話ができた。個展をするといろんな人に会えて嬉しい。作品を楽しんで頂けたら、もっと嬉しい。続けていて良かったと思う。

久しぶりにお会いした、鉛筆細密画家の篠田教夫さんが東大寺の御朱印をくださった。7年前の個展の時「続けていると、思いがけないところで、何かが開けてくるかもしれないから、自分を諦めないでくださいね」と言ってくれた篠田さんの言葉は、闇の中の光だった。続けているからこそ、こういう今があるのだなぁと、今しみじみ思う。週末の夜は銀座ライオンで同期会もあった。社会人1年生の時のみんな。 飲み過ぎちゃって何を喋ったんだか、記憶が断片しかなくても、翌日の後悔も自己嫌悪もなし!なんの気兼ねもいらない仲間の、なんともありがたいことよ。

不思議なことは、初めて会う人にも、まるで再会したみたいな懐かしさを感じたことだった。じっくりと作品と対話してくれているような様子に、こちらが心うたれてしまう。語っているのは、わたしじゃなくて、作品でありたいと、ずっと思っていたから。母娘で来てくれたお母さんの目からは、涙があふれていた。絵を観て泣いたことなんてないのだけど、昔のことや色んな事を思い出してしまって、、、と言いつつ、ハンカチで涙を拭いながら、しばらくポロポロと泣かれてしまった。泣かすつもりはないのだけど、時々そんなことが起きてしまう。6年前の個展「記憶の落書き」の時や、去年の京都の個展「平凡ファンタジィ」でもそんなことがあった。見る人の気持ちのどこに、どんなスイッチが入ったのかわからない。でもそれは、あんまりはっきりとは、わからない方がいいような気もする。なんだか申し訳ないような気持ちになったけれど、わたしの心の中にも、ぽわっとスイッチが入った。かわいいほっぺの小さいお客さんは、マトリョーシカにバイバイしてくれましたね♪そして最終日の搬出は、おかげさまで安心ドライブでありました。

これまでの自分だったら、展示の始まりと同時に、次のことを考えていただろう。でも今はちがう。明日はあるかどうかわからない。 ある日突然、星になってしまう命だってあるのだ。今この時のこの場が大事。それが見えればいい。絵を描いている時も、そうでありたいと思う。

「うたかたの庭」は、泡沫のごとく消えて、今はもう思い出になって終わりました。来てくださったみなさん、気にかけてくださったみなさん、どうもありがとうございました。あんまり先のことはわからないけど、その日その時を大事にして、これからもやっていこうと思います。

生まれては消え、消えては生まれる。
うたかたの庭で、遊ぶ束の間。
庭の花は終わっても、落ちた種から、また芽が出ることを願って。

2011年の冬のはじまりのことでした。

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