THIS IS IT

マイケル・ジャクソンの映画”THIS IS IT”を観てきた。もうなんだか、胸がいっぱいになっちゃって。。。そんな熱狂的なファンっていうわけではなかったけれど、全盛期はドンピシャ世代だったし、その頃のスゴさは刺激的だったし、1987年のソロ初来日の時、奇跡的にチケットが手に入って、後楽園の(その頃はまだ東京ドームじゃなかった)コンサートに行った記憶が蘇る。
映像を見ていていろんな思いに苛まれてしまった。いつまで観ていても飽きないこの感じは何だろう。あの姿、全身がリズムと化していて、歌もダンスもまだまだスゴいじゃない!こんな天才だもの、ゴシップとかはほんとはどうでもよかったんじゃないかと、自分も含めてコレ見た人はきっと、なんか「ごめんね」みたいな気持ちになったんじゃないかと思ったりもする。映画の終演後に客席で拍手が起こった。思わず拍手。泣きます。胸が痛いです。
成功って何だろう。こんなにもビックなスターの、華やかな暮らしは想像できなくても、こんなにも顔を変えてしまったところに潜む、埋められない何か、多かれ少なかれ誰もが持っている小さな人間の悲しみ、ならば、なんとなくわかる気がする。だから余計に切なさを感じてしまうのだ。あの歌声が、ココロにしみちゃう。映像の編集も上手いんだろうけれども、マイケルがリハーサルの中で何度スタッフに「I love you」とか「God bless you」とか言ったか知れない。そしてなんとかして観客を楽しませようとしている様子を見て、身もココロも華奢なこの人は、本当にいろんなことに純粋に、身をすり減らしていったんじゃないだろうかと思った。そんな人柄がよく見える。
このコンサートが実際出来上がっていたら、さぞかしスゴかっただろうと思うけど、死んじゃっていなかったらこの映像が、世界同時公開なんてなかったんだろうし、とか思うとまた複雑な気分だ。このすぐあとに死んじゃうなんて本当だろうか。こんな大掛かりな未完成を残して死んでしまうなんてあるんだろうか。なんだかウソみたいだ。
「ダンス、ヤバいね」「歌もバンドもヤバいね」と娘たちはipodにマイケル・ジャクソンを追加。この影響力!
死んじゃったというのも実は大掛かりな演出で、マイケルはまたすっかり顔を変えて、本当はどこかでこっそり生きていて、あったかいシチューかなんか、もりもり食べて、自分が死んだということによって成り立っている、このビックビジネスと、一大エンターテイメントと、清算されたゴシップを見ながら、やれやれ、と笑っていてくれればいいのに、、、と思う。

こねこ

兄んちの子猫。なぎさちゃん。生後二ヶ月。あ“〜、かわい〜。

ヴィオロン・クラシカル

阿佐ヶ谷駅を降りて北口、昭和な香り漂うスターロードを通って、名曲喫茶「ヴィオロン」へ。茂木建人さんのサクソフォーン・デュオのリサイタル「ヴィオロン・クラシカル」に友人と出かける。街もお店もわたしの好きな、歴史を感じるいい雰囲気。茂木さんは娘の中学時代の吹奏楽のコーチで、時々ご案内を頂いてコンサートにお邪魔する。最近はTVで福山雅治のバックのサックス演奏もしていたりしてご活躍だし、母親たちの人気者なのだ。息のあったサックスのデュオとピアノ。今日の演奏はとても情感が込められていて、ソロ演奏のビンジという作曲家のコンチェルト2楽章のところでは、泣きそうになっちゃうくらい感動しちゃった。珈琲をいただきながら、オレンジ色の空気と、やわらかな音に包まれて、なんとも素敵な、いい時間でありました。
夜のこの商店街「千と千尋の神隠しみたいだねー」などと言いつつ、山小屋みたいなお店を見つけて、ちょっと寄り道して帰る。

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