学生の時、映画研究会なるものに入り浸っていて、そこでは、やっぱタルコフスキーは観るべきでしょ的な空気があって、小さい劇場に観に行ったりしたのに、なんとなくの余韻しか覚えてないのは、たぶん半分寝てたんだと思う。今になって、ちゃんと観たいけど、なかなかレンタルもないしねぇと言ったら、Kさんが「ノスタルジア」と「惑星ソラリス」を送ってくれた。今観ると、いいですね。「ノスタルジア」はロングな絵画、そして詩。水。火。空気が湿っていて、いつまでも乾かないような、滴るような、そんな湿度。夢で見ているような映像。陰や光、構図のすみずみまで、いちいち絵のようです。深い。「惑星ソラリス」もまた、海です。水です。浮遊です。常に不穏な空気がズーンと漂います。シュレディンガーの「精神と物質」という本を、昔、読んだのを思い出した。哲学的な物理学的なそれ。もしかしてこの地球でも、見たいものを、自分の世界に、自分で作り出してるのかもしれない。意識的に、また無意識的に。脳内の世界が、自分の現実に投影されるとしたら、わたしは何を呼び出すのでしょうか。タルコフスキーは雨の日にでも、また観ようと思います。Kさんありがとう。感謝です!
メアリー・ブレア展
ヘンリー・ダーガー展
原宿の工房の帰りに、ラフォーレミュージアムに寄って、ヘンリー・ダーガー展を観てきました。何年か前に一点だけ、銀座で観たことがあって、不思議な絵だなーと印象に残っていたのだった。その時は、どういう人なのかよくわからず、作品だけを観たのだけど、今回のはダーガーという人の、生い立ちから、部屋の様子から、遺品まで見れる展示だった。箱いっぱいの短い鉛筆や、ものすごい厚みのスクラップブックなど、遺品の展示コーナで、背筋が、ぞわぞわーっとした。あの感じは何だったのだろう。きっと、誰にも知られていなかった彼の作品を、世に出そうとした人も、遺品を見て、ただならぬものを感じたに違いない。「非現実の王国」の世界で、不条理と病んだ社会に、苦しめられたり、勝利したりする純真の姿。作品は痛いものも多かったけど、目をそむけたくなるような痛さではなかった。妄想を書き出すことで、自己を救っていたのだろう。誰にも見せることなく、ただひたすら描かれた、ひとりの人間の存在の証。今になって、こうやって多くの人に見られているということに、あの世のダーガーさんは、どう思っているのでしょうか。