銀座

銀座。東京の街の中でも、銀座に来るとやっぱりなんとなく落ち着く。

昔勤めていた会社も、夫と出会ったのも、お義父さんに初めて挨拶したのも、結婚式の披露宴も、娘が生まれてから家族写真を撮りに行っていた写真館も、娘たちの毎回のバレエの発表会も、わたしの初個展とその後しばらくの展覧会も、みんな銀座だった。今はなくなってしまったお店もたくさんあるけれど、この辺りの空気は、懐かしくて新しくて、馴染み深くて好き。

父の日

今年の父の日は、ちょうど父の命日と重なった。甥っ子たちとも久しぶりに会ってお墓参り。昨年7回忌も終えた。生きていたら今年80才だ。晴れ男だったからか、雨予報の日でもお墓参りの時間に雨に当たったことはない。今年もやっぱりそうだった。いつものようにアゲハ蝶がひらひら飛んでいた。

家では何日か遅れの父の日に、子供たちから夫に、アイスケーキのプレゼント。こうして一緒に過ごせる時間が、何よりも大事で、たまらなく愛おしいと、思うようになった。以前にも増して、大事なものは何か気付かされる。当たり前と思っていてはいけない。歳のせいでしょうか。

お義父さんには、小さい版画とささやかな便りを送らせてもらった。留守電に入っていたお礼のメッセージが少し照れ臭そうだったけど。

涼しい朝。夢を見た。雨上がりで、少し濡れている草の緑が柔らかい丘のような所に、ピンクの花がポツポツ咲いていた。霞がかかっていて、夢のような風景の夢だ。ピンクの花はカーネーションに似ていたけど、花の名前は知らなくてもいいやと思った。わたしはその花をひとつ摘んで、花びらの雫を払って父のシャツの胸ポケットにさした。これも思い出になるのか…なんてチラッと思う。そこで目が覚めた。

…6月は蒼くけむって、何もかもにじませてゆく…。っていうユーミンの歌あったっけ。湿度と記憶と出来事が混ざりあって、本当にそんな感じだ。そんな6月もそろそろと過ぎてゆきます。

母の日

普段は当たり前のように過ごしていることが、本当は奇跡のようなものの連続ではないかと、ふと思うことがある。母の日。次女からはゴールデンウィークに一緒に出かけた時に前もってビール付きビュッフェをたっぷり、
長女からは口紅をいただきました。疲れが出やすい今日この頃、ちゃんとお化粧して綺麗にしていなさいと言われております。自分の母たちには、この頃あまり親孝行できていなくて反省。心ばかりのものを送るとか、時々顔を見せに行くくらいの事しかできていないけど、気持だけは伝えておこうと思っているのでした。

思いがけず感謝をもらって、感謝したくなる、そんな繰り返しなのだなぁ。
error: Content is protected !!