ここのところ、次から次へといろんな思いが駆け巡ってきてしまい、
どうも収拾がつかなくなってきた。何なんだろう?この語り尽せない想いは。
どれもこれもが、あまりにも大事で、何ひとつ、取りこぼしたくないと
思っている自分がいる。そういうのは欲張りというもので、
もう少し落ち着いて物事を見据えていなければならないのに、どうもおかしい。
ノートは殴り書きばかり。文脈はバラバラで、迷走している。
今自分で見返しても感情がほとばしっているようで、
なんだか自分じゃないみたい。何かが変わろうとしているのだろうか?
何か目標があったとして、それをクリアしていくとして、
そこには予測不能な出来事が山のようにあって、
その全部を自分でコントロールすることなどできない。
自分でコントロールできるとしたら、今、起きていることに対する
感情と情報の処理だけなのだ。
未来とか過去とか、いろいろあるけど、もう現在しかない!というような。。。
今現在を、この状況にはどういう意味があるのかを、
ひたすら探るしかないのだ。意味はどこかにあるものじゃなくて、ここにあるもの。
あらかじめ設定するものではなく、すでに掴んでいるもの。
あー、うまく言えないな。でも意味があるとしたら、
それはすべて「愛」のようなものだと思ってしまったのだ。
どう考えてみても、この溢れ出る感情の行き着くところは、それなのだった。
「愛」だなんて、こんなことを言うのは、きれいごとのようだけれども、
そう思ったんだからしかたない。
思索と制作だけでは、どうにも足りないものがある。
流れ去る、声の聞こえないコミニュケーションにも、もどかしさを感じる。
何かしら、五感全部で体験することができないと、
わたしの出力は滞ってしまうのだった。
遠くへ旅するわけにもいかないから、近所の臨海公園の人工の浜へ行って、
缶ビール飲んで、他愛もない話をしながら、
五感で、音や、声や、光や、風を浴びてきた。
小さな世界も、大きな世界も、愛すべきもので溢れているな。
わたしは、このことを、どうすればいいのだ。
なにか描くしかないんでしょうね。もう。