12歳の春。

小学校6年生の頃のクラスメイトから突然電話があってびっくりした。6年の時の担任の先生が、定年退職するというので、春になったら、お祝いの同窓会をしようという。その打ち合わせのために、きのう、クラスメイトのK君とAさんに、30年ぶりに会った。話をしているうちに、ずっと忘れていた、同級生の名前や顔やあだ名(メガネとかペヤングとか色黒クリクリとかサラサラビーバーとかほとんどジャージとか)が、ぽんぽんと浮かんできて、そのたびに、ひょん!と腰が浮くような感じになる。今までどこにあったんだろう?というくらいに、記憶の奥にしまわれていたものが、突然顔を出す不思議。だけどしまわれていないものもある。

わたしたちの6年2組は、6年生になってすぐの春に、クラスメイトをひとり失った。あまりにも突然だった。3年生の時から同じクラスの仲良しの女の子 Iちゃん。頭が良くて、運動もできて、絵も上手で、背も高くて、美人で、みんなに優しくて、本当に同い年なのかと思うほど完璧な子だった。なんだかお姉さんといるような感じがしたので、仲良くしてくれるのが嬉しかった。憧れのようなものもあったと思う。いたって健康そうに見えたが、喘息持ちだった。ある日の夕方、リンリン鳴る黒電話をとったら「Iさんが亡くなりました」という連絡網だった。ぽかんとしたまま、自分で次の人に回した。悲しいのかどうかもわからなかった。わたしは弔辞を頼まれ、わけがわからないまま、作文のようなものを書き、葬儀で棺に向かってそれを読んだ。折り畳んだ紙を広げていくうちに、だんだん涙が出てきて、字が見えなくなり、声が詰まった。練習読みのときのようには上手くいかなかった。でもその時やっと、ああ悲しいのだということがわかった。何を書いたんだろう。全然覚えていない。お通夜のときから、Iちゃんのお母さんがずっと取り乱している姿が痛ましかった。わたしがここにいてはいけないのじゃないかと思った。それはよく覚えている。身近な人の死というのは、わたしにとっては、それが初めてだった。12歳の春。突然、親友がいなくなるのは、誰かが転校して離れていくのとは、明らかに違った。もう会えない、もういないのだという事実が、何年経っても、ずっと胸にいつづける。

6年2組の同窓会の打ち合わせは、その他もろもろの記憶の引き出しをあけることに始まり、途中から顔を出してくれた先生に、思いがけずごちそうになり、先生が定年したら、こちらがごちそうする約束で終わった。はじめから大人だった先生は今も昔も全然変わっていない。「I ちゃんは何もかも完璧だったから、きっとあのとき、人生を全うしたんだろうね」と、今になって話せるようになったわたしたち同級生には、記憶にある子供の頃の姿から、こうして久々に会う今の姿とのあいだに、いくつものグラデーションを経たであろう時間が見える。

だけど、たった12年で人生を全うした彼女の姿は、記憶に残るあの、眩しいくらいにはつらつとした、12歳の姿のままなのだ。そうか!それもまた完璧だね。あなたは永遠に美しくて、永遠の少女なのだ。

(Iちゃん、Aさんは今、年下の彼と再婚しようかどうしようか悩んでいて、K君は奥さんが大好きで、今は地元の郵便局長なんだって!春の同窓会には、みんな来れたらいいね♪)

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