近くの浜へ行ったりなどして

ここのところ、次から次へといろんな思いが駆け巡ってきてしまい、
どうも収拾がつかなくなってきた。何なんだろう?この語り尽せない想いは。
どれもこれもが、あまりにも大事で、何ひとつ、取りこぼしたくないと
思っている自分がいる。そういうのは欲張りというもので、
もう少し落ち着いて物事を見据えていなければならないのに、どうもおかしい。
ノートは殴り書きばかり。文脈はバラバラで、迷走している。
今自分で見返しても感情がほとばしっているようで、
なんだか自分じゃないみたい。何かが変わろうとしているのだろうか?
何か目標があったとして、それをクリアしていくとして、
そこには予測不能な出来事が山のようにあって、
その全部を自分でコントロールすることなどできない。
自分でコントロールできるとしたら、今、起きていることに対する
感情と情報の処理だけなのだ。
未来とか過去とか、いろいろあるけど、もう現在しかない!というような。。。
今現在を、この状況にはどういう意味があるのかを、
ひたすら探るしかないのだ。意味はどこかにあるものじゃなくて、ここにあるもの。
あらかじめ設定するものではなく、すでに掴んでいるもの。
あー、うまく言えないな。でも意味があるとしたら、
それはすべて「愛」のようなものだと思ってしまったのだ。
どう考えてみても、この溢れ出る感情の行き着くところは、それなのだった。
「愛」だなんて、こんなことを言うのは、きれいごとのようだけれども、
そう思ったんだからしかたない。
思索と制作だけでは、どうにも足りないものがある。
流れ去る、声の聞こえないコミニュケーションにも、もどかしさを感じる。
何かしら、五感全部で体験することができないと、
わたしの出力は滞ってしまうのだった。
遠くへ旅するわけにもいかないから、近所の臨海公園の人工の浜へ行って、
缶ビール飲んで、他愛もない話をしながら、
五感で、音や、声や、光や、風を浴びてきた。
小さな世界も、大きな世界も、愛すべきもので溢れているな。
わたしは、このことを、どうすればいいのだ。
なにか描くしかないんでしょうね。もう。

ナンが家で作れるナンて・・・

イエローカレーやらレッドカレーやら、ちょっと家で作るのは難しいタイプのカレーをレトルトで何種類か買ってみた。そしたら、何かこねこねして、料理を作りたいからと言って、長女がレシピを調べて、ナンを作ってくれた。ナンのことは、長女にすべておまかせして、わたしはのん気にハイボールなんぞ頂きながら、焼き上がりを待っておりました。そしたらまあ、美味しかったのですよ、これがまた!焼きたてで、モチモチしてて、スパイシーなカレーにはぴったりでした。ナンが作れるナンて!とか、ナンて美味しいんだ!とかいろいろ言いながら。
それで思い出した。前にお店で、注文した覚えの無い「ナン」が運ばれてきて、ナンを食べたことのない母が店員さんに「あの〜、これはなんですか?」と聞いたら「そうです」と言われて「へ?」となったことがあったっけ。

甥っ子画伯

風の強い土曜日、ママと遊びに来てくれた、5歳と2歳の甥っ子たちは、お絵描きも大好き。子供の絵はいつだって素晴らしいです。大人にはなかなか描けないのびのび感に溢れています。お兄ちゃんのほうは「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」や「コープス・ブライド」が大好きで何度もDVDを見ている。将来の夢はティム・バートンに会って、一緒にお人形を作ること、だそうです。いいな、それ!その夢がかなったら、わたしも付き添うからね。なんて。

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