たったひとつの世界

1日が2日分という毎日。ちょうど京都で開催中のアートイベント「観◎光」を観に、まずは二条城へ。こういうところで展覧会なんてすごいなぁ。うつわも作品も、すべてスケールが大きい。まさにビックプロジェクト。ひとつひとつというよりも、全体で観なくちゃいけないんだろうな。こういうのをアートというのでしょう。アートというものの定義はわからないよ。自分には主観しかない。体重計のオブジェには全部乗った。体験型に弱いタイプです、はい。そして泉涌寺へ。泉涌寺は普段は公開されていないそうなので、貴重な体験ができた。こういう所での展示は、見る人に何か問いかけているような気がしたし、個人的に考えさせられるものがあった。時間ぎりぎりでギャラリーへ。きのうに続いて、ツイッターでの告知を見たという方が、来て下さった。今年はこういう不思議な出会いの年。DMハガキは知り合いや芳名帳のリストの人にしか出せないけど、このツイッターというものは、予想外に広がっていくので、その都度びっくりしてしまう。ふだんつぶやきを見てる人であれば、お会いする時もなんとなく予習済みのような感もあるけど、実際にお会いすると、バーチャルとリアルがシュン!って重なる瞬間が見えて、不思議な気分。これは以前にも感じた事だ。顔を見て話すというのは、本来は当たり前のことなんだけれど、そういう当たり前が持つ、言葉以外の情報量の多さ、五感の大切さを感じる瞬間でもある。世界の多重構造。折り重なり。だけどこれは、自分が見ている、たったひとつの世界なのだ。多重ではあるが、ひとつなのだ。重なるレイヤーのように、部分と部分が織りなされて、自分の目には、たったひとつが現れる。そこには、奥行きがある。この日「アルティオさん」は、仏師殿の元へ嫁入りが決まりました。貰い手さんとアルティオさん、どうか末永く幸せでありますように。。。夜は、カナンさんに教えてもらった、寿司乙羽でおいなりさん買ったり、ロンドン焼を買ったりしてから、またひとりになっちゃったので、てくてくハシゴしてしまった。こういう時に、人の顔を見に行けるのって、すごくいいなぁと、思ったのでありました。ほろ酔いでも、もう道がわかるよ。歩いて帰れる。
すたすたすた。
京都にもだんだん慣れて来たような気になっている
4日目の終わり。

ダーマさんがやらかした

お天気続きでありがたい。早めに宿を出て、嵐山へ。朝早いし、まだ紅葉前だし、ということで人通りもちらほら。これぞ京都〜っていう風景に、ぽかんとしてしまう。ほぉ!とか、きれーい!とか言うばかりで、頭の中は、もはや空っぽ。竹林へむかう道なりのお地蔵さま。大きさと表情がぜんぶ違って、なんだかマトリョーシカみたい。そして竹林からの朝の光は、花びらみたい。そして天龍寺へ。美しい風景は語るべくもなし。ただそこに身を置くだけで素晴らしい。見事な借景のお庭を眺めながら、いつまでも座っていたい。が、そういうわけにもいかず、抹茶ほうじ茶ソフトなどを食べつつ、家族と別れてわたしはひとり、電車を乗り継ぎ、ギャラリーへ向かう。ギャラリーのオーナーが経営する地下のカフェアンデパンダンで、お昼。展示中の作家には、ここのドリンク券がもらえるのもうれしい。
さて開廊の時間。ひとりでやってきた若い女の子が、起き上がり小法師の「ダーマさん」をコロンコロンやっている。これには鈴が入っていて、チロチロと音が鳴るのだ。もう一回いいですか?と言うので、どうぞ、何度倒しても、必ず起き上がりますから大丈夫です。じゃあと、チロチロ。他の作品を見てまた、ダーマさんのところへ来て、チロチロ。あぁもう一回、とチロチロ。そのうちにぽろぽろ泣き出してしまった。えー!どうしよう。大丈夫?何か思い出しちゃったかな?身につまされたことがあったらしいが、それ以上、あまり立ち入ったことは聞けないし。数年前にも一度だけ、個展で似たようなことがあった。気持ちのどこかに、スイッチが入っちゃたのかもしれない。ダーマさん、女の子に何したの?ツイッターの告知を見てという方が何人か見えてお話。それから入れ替わるようにして「上燗や」さんの綾子さんや「booze k 」のこうちゃんさんや、そのお客さんがDMを手に見に来て下さった。ギャラリーの人に、京都にお知り合いがいらっしゃるんですね?って。いや、こちらへ来てからお知り合いになったんです、と、いきさつを説明。なんという有り難く、嬉しいご縁でしょう。わたしは幸せ者です。様々なご縁に心から感謝。気持ちがなんだかもう、いっぱいになってしまった。じわじわじわ。
夜は京都駅で、にしんそばを食べて家族を見送り、ひとり宿へ帰る途中、足りなくなったDMをコンビニでコピー。部屋で切ったり、折ったりの作業。注文枚数読み違えたみたいね。
じわじわじわ。
そうだ、だんだんわかってきたよ。自分が何処にいて、何をしているのかを。
3日目の終わり。

ただそれだけなんです。

晴れた。文化の日。これを機に京都に家族旅行しちゃおうという計画を遂行するべく、朝イチの新幹線で家族がやってきた。宿からいちばん近い観光スポットは京都御所。空気が澄んでいてどこを撮っても、ぱきぱきの写真になる。砂利をざくざく歩き、芝生をふかふか歩き、御所を抜ける。道すがら見つけた、妙音辧財天にお参り。朝の掃除を終えたばかりで、水が打ってあり、そこらじゅうキラキラ光って、隅々まできれいにしつらえてある。なんだか静かにもてなされているような、心地よさがあった。さらに歩いて「出町ふたば」で、まめ餅を買い、鴨川のせせらぎの側に座って食べた。次はどこへ行こうか。ここから近いということで、河合神社、下鴨神社へ。結婚式や七五三の子どもたちで、華やかに賑わっていた。流れに映る空や、木漏れ日、さらさらと音を立てる風、ひらひら落ちる葉っぱ、清々しい空気を堪能してお参り。神様にごあいさつもしたことだし、そろそろ時間ということで、ギャラリーへ。先週まで家にあった作品を、ズラッと並べた展示の様子を見てもらい、家族は引きつづき観光へ。この日は休日だったためにギャラリーには観光客らしき人が、流れるように入ってくる。カップルや外人さんが多かった。美術関係らしき若者3人に、アートについてどう思いますか?と聞かれ、あー、その話なら、と言いかけたところで、もううんざりですか?というので、はいそうですと答えた。自分のやっていることはアートだとは思っていない。それについての議論も見聞きはするし、学ぶべきところは学びたい。だけどそれは、自分の乗るべき船ではないと思っている。だいいち乗れない。悩んだ時期もあった。でも今は、何かそういうものから抜け出したような気がして、こんなの出ました的に描いている。気分みたいなものを、誰かと共有できるならば、もうそれだけでいいんです。なんのコンセプトも無い単純なものです。子どものように、自由に描くのが、今は自分の理想かもしれないんです。だいたい、そんな大層なこと言える人間じゃないし。若者たちの眼差しが真剣だったので、正直に言うしかない。なるほどぉ、そうなのかぁと、ぐるっと作品を見た赤シャツ君が、僕はコレが好きです、と指差したのは、わたしの銅版画の第一作目だった。それは、いちばん最初に、わくわくしながら描いたやつです。そうかぁ、なんか伝わってきましたよ。そうですか!それならいいんです、わたしはもう、それでいいんです。妙に納得されてしまい、帰る頃には最初とずいぶん様子が違っていた。若者のトゲ抜いちゃったかな?でも、しょうがないんだ。こうなんだもの。その後はヒマになるとストンと居眠りを3分くらいしつつ、やがて終わりの7時を過ぎて、 みんなと合流。ギャラリーからほど近い先斗町の「上燗や」さんの本店へ。お店には、伴清一郎さんの作品が2点飾られていた。ひとつはツイッターのアイコンで見たことのあるお顔。雄叫びが聞こえてきそうな迫力がありつつ、もう1点もすべらかな絵肌。日本橋で拝見した作品もそんな穏やかな迫力があった。やはり作品にしかお目にかかったことはないけども、ちょっとお人柄を想像してみたりして。お客さんも美術関係の人が多いみたい。手伝われていた素敵な女性も、絵描きさんだった。止まらない味のしょうゆ豆、揚げたてのさつま揚げ、ポテトサラダ、ごま豆腐、おぼろ豆腐、美味しすぎて写真を撮り損ねたおすすめの生麩揚げ、などなど。熱燗と、上品なお味の美味しいお料理で、お腹もココロもいっぱいになり、酔いざましに、高瀬川沿いを散歩してから宿へ。
ぽわぽわぽわ。
あれ?わたしは何しに来たんだっけな?そうだ、個展をしに来たんだよ。
2日目の終わり。

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