銅版画制作で思うこと

工房には平日の夕方までしかいられないため、残りの作業でできることはなるべく家でやっているので、テンペラ画の制作はしばらくお休み状態になっている。版画の行程がわかるようになるにつれて、今までやってきたこととの違いが益々明らかになってくる。気持ちが高まってわーっと描いて、ちがう!って消してまた、だーっと描いてっていうプロセスが踏めないから、版画ではあーしてこーしてと考えているうちに、頭が整理されてきて、そのうちに熱が冷めて適温になり、描いていないときでもこうしようかな?なんて考えていたりして、その温度を保っていられる感じがする。版を作っているときはキャンバスに描いているときと同じようなダイレクトな感触があり、線ができていくにつれて、それなりにワクワクするんだけど、いざインクを詰めて刷ってみると、へ?こうなっちゃいます?という妙な距離感が生まれることがある。そんなふうにイメージ通りじゃなかったり、時にはイメージ以上だったりすることもあり、腐蝕液による「他力」が加わっている感じが新鮮だ。で、絵なら「描き」が終わった時点で作品が出来上がるけど、版画は版ができても試し刷りをした時点で、またそこから、ここんとこどーする?色は?紙は?という新たな課題が生まれてしまうのだった。数々の可能性や選択肢がいろいろあるために、またそこから何かをリスタートしなくちゃならない。経験を積まないとその辺をはじめから計算することができないんだな。版を作ったらほとんど後戻りはできないし、終わりどころが難しい。全部をコントロールできないところに面白さがあるんだろうけど。。。この間は薄い和紙の「雁皮刷り」やソフトグランドを使う技法なども習った。また選択肢が増えたので、大いに迷ってしまうけれど、新しいことを習うのはとても楽しいのでした。

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