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*2004年のメモから*
いろいろな作品を見て回ったあとで、
あれとこれは 一体何がちがうのか?
と、なんとなく考えながら、独りでお茶を飲んでいたら
ふっと気が付いたことがある。
絵の中にいるか、外にいるかのだと。
作者が作品の中と外、どっちにいるのかの違いが
作品からうける感触を、違ったものにするのだ。
あの作家は、作品の中にいた。もうひとりのは、外にいた。
あの若い女の子の作品は、ベタな程、中にいた。
それを思うと、作家が作品のどこにいるのかがわかる。
好きか嫌いかは別として、作品自体の性格というものが
急にわかるようになった。
これは、おもしろい。
私も自分が作品の中にいるようなのを作りたい。
キャンバスの内側から それを創り上げているようなものを。
支持体の上に 乗っかっているものじゃなくて
中から、沸いてきているようなもの
それを目指したいと思った。
モノづくりをしていると、他にないものを と願うあまり
かえって自分を、がんじがらめにしている場合がある。
オリジナリティーって何だろう?
自分好みの作品に出会うと、ああやられた!と思う。
でも、そこであきらめずに自分ももやればいい。
やられた!というだけでやらないのは
自分が充分にやれないことを、人のせいにしているだけだな。
となりの花と似ているから、咲くのをやめようなんていって
枯れてる花なんて あるかな?
そんなのないのと同じかも。。。
自分の中の、底の底のほうの状態に、どれだけ忠実になれるのか
それを明るみに出してやらなければと思う。
直接、線になってみた。
すると、これがなんと、ゾクゾクする。
前に発見したように、絵の中にいたいと思ったからだ。
線になり、色になり、にじみになってみると
ひとつひとつが主観的で、途中で全体を見渡すことすら忘れる。
絵の中にいるとは、こういうことなのかと
今までにない感覚をつかんだ。
「自分はこうやって生きているのです」という事実で
充分じゃないだろうか。
もう、しかたがないのだ。一筆一筆が、呼吸と同じように。
それが、この私が「生きている」ということなのだから。
その事実は否定のしようがない。
人の批評からは、解放されよう。
オリンピックを見ていて思った。
宇宙を味方にした者が、勝つのだと。
宇宙、世界、世の中を、敵だと思うと勝てないのだ。
不安や、プレッシャーというのは、この世を
自分のものにしていない時に、感じるもので
この世が、味方だと思えば、
宇宙が、後押しをしてくれるんじゃないだろうか。
「負ける気がしなかった」という選手の言葉を聞くと、
なるほどぉー、と思う。
自分も 宇宙の一部なんだから、それを信じることができなければ
何もかもが、自分に向かって、立ちはだかっているように見えるだろう。
本当は、立ちはだかっているのではなく、
共に在る、のだと思う。
私も、試されているのではないな。
常に、チャンスを与えられているのだ。
人生は試練だ!とかいうけど、本当は試練なんかじゃなくて、
チャンスなのだ。
全ての物事は、いつもいつも、一秒一秒が、
自分に開かれた チャンスなのだと。
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2004年の7月と8月の制作過程で、思ったことをメモしてあったのに
まとめきれずにアップしていなかったので、ここでまとめてみました。
遡りますが、夏の間はこんなふうでした。
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