のスナップ

2004年6月

6/9
意思が実現してしまうという オドロキは
今までに幾度となく経験してきたことなので
ヘタに言葉を吐かないほうが良い。
言葉で物事にシールを貼ったら、その通りのものになってしまう。
否定文の後にはbutをつけよ。
望みは必ずあるはずだ。

6/10
現実というものが現れた真実だとわかったら
常に現実がある限り、自分にとっての
真実しか現れることはないということでもある。
コップを落としたらどうしようと考えて
一瞬、不安を抱くと
落としたらどうなるかということを、宇宙が見せてくれようとして
それが実現してしまうのだろう。
そうして ガシャンと割れる。
どこまでコントロールできるのだろうか。
なんだか責任重大だ

6/16
自分がこれだ!と思ったものは、他の人にとっても
それだ!というものになるのだろうか。
だとしたら、たとえ説明がつかなくても「これなんです」
という、意思と確信があれば、そこに何かが生まれるということかも。
抽象にも存在感を。形のないものも 実在するのだということを
表現したいと思う。

6/18
出来事を観よ。
その時の自分の気分を見つめる前に、起きている事柄を見つめよう。
本屋でアーティストの本を、パラパラと見ていて
自分のスタンスが、またわかってしまい、
ここで自分を見失わないようにしようと思った。
「私の人生はかけがえがないが、ささいなものだ」
BSでやってた映画のセリフ
そうだな、ささいなものだけど、やりたいことはやれる。
ささいな芸術、ささいな作品。
身の丈を 感じ取ることが大事だ。
最大限に ささいなあり方をする。
ささいなところで、めいいっぱいやる。
全ての人が何かしら機能している。
どんなあり方をしていようと、
何かのために必要だから その人はいるのだ。
なんと この世は「在る」という答えから始まっているのだから
疑問をはさむ余地はないな。

6/22
考えている内容の比率。
自分はどんなことを考えているのか。
その内容の比率によって、自分を取り巻く世界は作用する。

6/28
何かを思いついた途端、可能性の道は枝分かれを始める。
そして突然、どっちにも行けると気づいてしまうのだ。
今まで考えもしなかた道の方を見る。
私を乗せた波は、意識を向けた方向へ流れようとする。
何を選ぶのか、本当にそれでいいのか
それは自分の考えなのか、
人に言われたことを自分の考えだと錯覚しているのか
常に 見極めなければならないのだ。

描きながら、あれ?これ本当に描きたいんだろうか?と
急に冷めることがあって、はっとなる。
本当に描きたいものじゃないのに、なにか得体の知れないもののために
描いているのは、ストレスでしかない。
人の目を意識して描いていると、たいていそうなるのだ。
人の目にどう映るかなんて、私が想像したところで
そんなのたかが知れている。
それは自分には、計り知れない問題だ。
当てにならない 勝手な想像に縛られて
がんじがらめになる必要はないんだなと、思いました。


[BacK]